2016年8月4〜5日

「国土地理院発行の2万5千分の1地形図
(富士山)」
ルートタイム

富士山に登るのはこれが3度目になる。
1度目は小学校3年生の頃。やはり山をやっていた父に連れて行かれた初めての登山が富士山だった。
幼児の頃に重度の小児喘息を患っていた私にとって、この頃には普通に運動できるようになっていたとはいえ、富士山の薄い酸素は非常に辛かったことを覚えている。それでも父に励まされ、なんとか浅間大社までは到達。しかし、剣ヶ峰どころか火口を覗く元気もなく、下山したという。
この時は富士宮口から登って吉田口に下ったらしい。
2度目は自分の子供がやはり小学生の頃、家族4人で須走口からの往復登山。
この時は山頂直下で明け方に土砂降りに遭い、子供は寒くて泣きながら登っていたものだ。山頂の小屋で熱いラーメンを食べて笑顔は戻ったものの、山頂は厚いガスに覆われていたこともあり、やはりこの時もそのまま下山。
2度も登りながら剣ヶ峰は疎か火口すら見ていないことがとても心残りで、今回3度目の挑戦となった。
さて今回の富士登山。前置きが長くなって申し訳ないのだが、実は今回、登山の前に大変なことが起こってしまった。
明け方に愛車のハイラックスに乗って自宅を出発。東名を御殿場ICで降り、陸自の富士駐屯地と米軍のキャンプ富士の間を抜ける。この辺りまではとても順調だった。ここから道はどんどん傾斜がきつくなる。そのせいだと思っていたのだが、それにしてはどうもエンジンのパワーがなさすぎる。
おかしいと思い、ふと水温計を見ると針が振り切っているではないか。
まずい! と思ったが、道はものすごい坂で車を止められず、御殿場口の駐車場までもう少しだったこともあり、だましだましなんとか駐車場へ。
車を駐めて降りて見るとエンジンルームの下から冷却水らしきものがダダ洩れになっていた。ボンネットを開けると湯気がシューシュー、エアクリーナーの辺りからはゴボコボと不気味な音がしている。
これは終わった。まあ平成7年式、32万キロもノートラブルで走った車だし、いずれ来ると思っていたが、このタイミングには参った。
とりあえずいつも世話になっている車屋に電話すると、
「分かった。どうするか考えておくから、せっかくだから登ってこい。」
とのありがたい言葉。
それに甘えて、とにかく登り始めることにする。
1日目
駐車場から100mほど登ると御殿場口のバス停。その目の前が登山口だ。
遠くで雷の音がしていると思ったが、どうやら自衛隊の演習のようだ。
まるで砂浜のような斜面。10分ほど登ると大石茶屋がある。
御殿場口登山道は長い割に小屋が少なく、ここから8時間ほど先、つまり今夜泊まる所まで途中に小屋はない。
とはいえ、まだ歩き始めたばかりで休憩する気にもなれず、ここは素通り。
とにかくひたすら景色が変わらない道が延々と続く。まだそれほど傾斜はきつくないが、砂地なのでじわじわと足にくる登りだ。
しばらく歩くと、左手に二ツ塚が見えてくる。
雲が地表を這いながら迫ってくる様子はなかなか迫力がある。
手を伸ばせば雲に届きそうだ。
途中、若い母親と小学生ぐらいの子供が休憩しているところに出くわした。
挨拶をすると何故か子供に気に入られたらしく、私の後をついてくる。慌てて追いかけてきた母親に話を聞くと、父親は先に行っているとのこと。
少し行くと父親が待っていた。なんと赤ん坊を抱いている。
聞けば、小屋に泊まらず、弾丸で山頂を往復するつもりとのことだが、赤ん坊や子供づれ、しかも母親はだいぶグロッキーの様子。
あまり無理はしないようにと忠告して先に行ったが、時々振り返ってみると、ペースはどんどん遅くなり、少し長めに休憩しても追いついて来なくなったので、まあおそらく諦めたものと思うが、なんとも無茶な計画を立てたものだ。
こうして見ると、やはり富士山は大きいと改めて思い知らされる。
だんだんと傾斜がきつくなってきた。
行程の半分を過ぎたあたりから、雰囲気が変わり、黒っぽい砂地から赤茶けた砂と岩の景色に変わってくる。
景色が変わらない上にガスに巻かれ、延々と歩き続けているうちに、やっと目の前に小屋が現れた。手前がわらじ館で、先に見えるのが砂走館。私の今日の宿は砂走館だ。
砂走館に到着。登り始めて7時間ちょっとか。いやぁ疲れた。
小屋について一息ついているとほどなく夕食の時間。夕食のカレーをおかわりしてたらふく食べる。
小屋は思ったよりも空いていて快適だ。
明朝は1時に起床。遅くとも1時30分には出発の予定なので、食後はもうさっさと寝てしまうことにする。
2日目
予定通り1時に起床。私以外にもあちこちでごそごそと動き始めているようだが、まだ寝ている人も多いので、そっと荷物を持ち出し、とりあえず外に出る。
外のベンチで身支度を整え、いざ出発。
真っ暗の中、ヘッドランプをつけて歩くのは久しぶりだ。少し寒いが、歩いていればそれほど苦ではない。
下を見ると、昨日のガスもとれ、夜景が綺麗に見える。
暗い中を歩くと距離も時間も感覚が狂う。ウインドブレーカーは来ているが、風が冷たい。
なまじ先が見えないので、いつしか無心で歩いていると、気がつけば山頂に着いていた。
空はいくらか白みかけ、日の出も近い。とりあえずご来光を拝める場所を探すことにする。
ちょうど東側の高台がまだ空いていたので、腰掛けるのに都合の良い岩を探し、腰を下ろす。
カメラを準備し、ご来光を待つ。やはり富士山からの日の出は早く、4時半にはもう光が上がり始めた。
残念ながら雲からのご来光となってしまったが、それでも感動。
残念ながら今回は広角レンズしか持って行かなかったのであまり迫力のある写真は撮れなかったが、寒い中震えながら待った甲斐があった。
山頂(剣ヶ峰)や、他のピークにもご来光見物の登山客が鈴なり。
お鉢巡りをしつつ、剣ヶ峰に向かう。
3回目にして始めて覗いた噴火口。噴火口の中に雲があるのか不思議。
下を見下ろすとレースのような雲海と宝永山。
噴火口の淵に立つ。なかなか迫力がある。
途中、須走口からの登頂口拭付近の小屋群で朝飯にラーメンを注文。しかしこのあたりはものすごい人だ。まるで休日の浅草仲見世通りを歩くような混雑。外国人の割合が非常に多いのもそれに拍車をかけている。そんな中、人ごみをかきわけ、座れそうな場所を探して腹ごしらえ。
こうしてみると、富士山の火口は大きい。1周1時間30分と言われるが確かにそのぐらいはかかりそうだ。
見事な富士山の影。
剣ヶ峰はすごい行列。よくわからずに並んでしまったが、山頂の標識で記念撮影をするための行列だった。登頂するだけなら並ぶ必要はなかったようだ。
並んでいる間に近くにいた高齢のパーティの一人が倒れた。仲間も大勢いるし心配はなさそうだったが、やはり無理は禁物だ。
30分以上並んでようやく山頂に到着。
剣ヶ峰から降り、浅間大社方面に下山しながら振り返る。この斜面もすごい。
剣ヶ峰を振り返る。まるで火星かと思うような景色だ。
浅間大社に到着。下山前に一息入れる。
時刻は7時30分。のんびり下っても昼にはならないだろう。
お鉢を一周し、登ってきた道を再び降り始める。
この時点ではまだ天気が良く、うっすらと駿河湾も望める。
登りは真っ暗だったので分からなかったが、本当に地面が赤い。
少し下ってから振り返る。
こんなところを登ってたのか。暗いと本当に時間と距離の感覚が狂う。
砂走館まで戻ってくる。昨日はガスに包まれ、何も見えなかったが、山頂まで綺麗に見えるのが素晴らしい。
砂走館から少し下ると、下山路の砂走りに入る。1歩で3m進むといわれているとおり、飛ぶような勢いで進める。
写真は登っているように見えるが、実は下り方向を写している。
おそらくかなりのスピードで歩いているのだが、広大な山腹で景色が変わらず、前に進んでいる実感がない。だいぶ下ってきて傾斜も緩くなり、まっすぐなブル道が延々と続くようになってくるとなおさらである。
それでもようやっと御殿場口の大石茶屋に到着。
ずいぶんかかったような気がしていたが、時計を見ると10時過ぎ。なんと登りに10時間以上かかったところを3時間かからずに降りてきてしまったのだ。これには自分でも驚いた。
ここで休憩しながら車屋に電話をし、壊れてしまった車の処置を相談。
1時間近くあれやこれややっていたが、どうやら相談がまとまり、車はレッカーで運送、自分はめでたく電車で帰ることとなった。
車はさすがに廃車だろう。さて、次を探さなくては・・・。