2011年11月3日

「国土地理院発行の2万5千分の1地形図
(群馬原町)」
ルートタイム
群馬県にある岩櫃山は、標高こそそれほどではないものの、200mに及ぶ断崖絶壁を誇り、スリリングな岩場が楽しめる。
登山口から少し登った所にある岩櫃城跡は真田家の居城であり、真田幸村も幼少期を過ごしたという城である。井上靖著の「真田軍記」にも岩櫃城を巡る攻防が記されており、幸村ファンの私としては一度訪れてみたい山であった。
関越自動車道を渋川伊香保で降りて1時間少々で平沢登山口の駐車場に到着。
登山口に最も近い第一駐車場は何やら祭りの準備らしく、車が駐められなかったので少し下った第二駐車場に車を駐める。トイレもあり、広くて立派な駐車場だ。
聞いてみると毎年11月3日は岩櫃山紅葉祭の行われる日であり、大勢の観光客が訪れるとのこと。
知らずにいい日に当たったようだ。帰りにでも覗いてみようと思い、歩き出す。
ここから平沢登山口登れば山頂までは一直線なのだが、実は反対側の密岩通り登山口から登った方が難所があって面白いとのことなので、山裾を回って密岩通り登山口へ向かう。
歩き初めてすぐに岩櫃神社への分岐があったので、登る前にお詣りして行こうと思い道を外れる。
5〜6分歩いた所に神社はあったのだが、ここも祭りの準備らしく、社殿に人が盛んに出入りをしている。邪魔になってはいけないと思い、鳥居の外から一礼をして引き返す。
元の道へ戻り、車道を少し歩くと、畑に降りる道のような小径があった、目で追うと先は林の中に入っていく。おそらくこれだろうと、その道に入り林の中へ。
これは地図に載ってない道で、おそらく地元の人たちの生活道路なのだろう。一人がやっと歩ける程度の細い道だが、きちんと整備され歩きやすい。
15分ほどあるくと林を抜け、舗装された道に出た。線路沿いの町並みを見ながら歩く。昔ながらの蔵などもあり、情緒豊かな町並みだ。
郷原駅前を通り過ぎ、岩櫃山登山口の案内板に従って右へ折れて少し行くと、右手の方に岩櫃山の奇怪な山容が見え始めた。
この角度から見ると低い円筒形で、確かに飯櫃のように見える。これが岩櫃山の名前の由来に違いない。
平沢登山口の駐車場を出発してから約45分ほどで密岩通り登山口に到着。
こちらの登山口の少し手前にも駐車場があったが、こちらはそれほど広くはない。
切り立った山容にふさわしく、山に入ったとたんに急登が始まった。
あちこちに「熊出没注意」の看板がある。こんな人家に近い所に熊が出るのでは住んでいる人は大変だろう。
まったく人気がないので少々不安になる。今回は熊鈴を忘れてきたので、ラジオをつけて歩く。
周囲はそびえ立つ岩に囲まれ、その間を縫うように急登をよじ登る。
30分ほどで鞍部に出る。ここで10人ほどのパーティーが休憩しているのに出会う。
鞍部で右に折れ、狭い岩の隙間を通り抜け、木の根に掴まって急登をよじ登ると分岐に出る。左に行くと天狗の架け橋。右に行くと迂回路である。
迷わず左へ行くとすぐに天狗の架け橋が現れる。
岩が細く橋上になっており、長さは5〜6mぐらいだろうか。ただ、本当に細い所は最後の2mぐらいなので、それほど恐怖は感じない。
天狗の架け橋のすぐ先の鎖場。
天狗の架け橋よりもこちらのほうが高度感がある。
少し行くと、大きな岩が行く手を塞いでいる。見ると岩屋のようになっている奥に穴があいており、どうやらそこを抜けていくようだ。
結構小さい穴で、ザックが引っかかりながら這って抜ける。
岩穴を抜けるとすぐにまた鎖場である。
鎖とはしごを使って岩を越えると断崖絶壁だ。細くつけられた道を慎重にトラバースしていく。
ほどなく山頂への基部に到着。この岩を登れば山頂だ。
山頂に到着。
山頂は思ったよりも広く、10人ほどは楽に立てそうだ。ちょうど紅葉の時季であり、360度の展望はなかなかの眺めだ。これできれいな秋晴れだったら紅葉もさぞ生えることだろうが、曇り空で色が沈んでいるのが残念だ。
見ているうちに登山者がどんどん登ってくる。
平沢登山口から来る人の方が多いらしく、ここまで来ると大勢の登山者がいた。
100mほど先にもう一つのピークである東の岩峰がある。格好の休憩スポットで、登山者たちが休憩しながらこちらを眺めていた。
一度山頂の岩峰を降り、東の岩峰に登り、適当な場所を見つけて休憩。まだ10時なのでここで少しのんびりすることにし、お湯を沸かしてコーヒーを入れ、パイプに火をつける。山野上で味わうコーヒーと煙草は最高だ。
山頂を堪能し、下山にかかる。
もちろん下山は車を駐めてある平沢登山口へ。東の岩峰を乗り越える形で反対側に降りると、あとは多少鎖場等あるもののたいしたことはなく、写真のようななだらかな尾根歩きが中心だ。
途中、尾根通りと沢通りという二つのルートに分かれる。尾根通りに岩場ありとあったので、迷わずそちらへ。しかしどこが岩場なのかよく分からないまま過ぎてしまったようだ。
30分ほどで岩櫃城本丸跡へ出る。岩櫃城は前述の通り真田家の居城だった城だが、徳川家康の一国一城制度により取り壊され、現在は跡形もない。
もう登山口も近いらしく、祭りの太鼓の音がすぐ近くから聞こえてくる。城跡を通り過ぎるとほどなくして平沢登山口に出た。
祭りのにぎわいの中を通って駐車場へ。太鼓が見たかったが終わってしまったようだ。
岩櫃山は標高も低く、のんびり歩いても2〜3時間で歩ける手軽な山の割にはなかなかスリリングな岩登りが楽しめる面白い山である。ただし、死亡事故なども起きているようなので、登る際は手軽だと油断せずに楽しんでいただきたい山だ。