2011年7月22〜25日

「国土地理院発行の2万5千分の1地形図
(槍ヶ岳・穂高岳・上高地)」
ルートタイム
昨年、槍ヶ岳に登ってからというもの、北アルプスの魅力に取り憑かれた私は、次回は必ず大キレットに行くと心に決めていた。
そして、今年。昨年同様に梅雨明けの天候の安定した時期に行くつもりで7月20過ぎ頃を予定していたのだが、ご存知の通り、なんと今年は例年よりも10日以上早く梅雨が明けてしまったのである。
それならばと予定を繰り上げようとした矢先、不運なことに夏風邪を引き、それがだらだらと長引いているうちに今度は台風である。
予定が立たず、やきもきしつつ、台風の通過を待って、やっと7月22日に出かけることとなった。
まあ結局当初の予定通りとなったわけだが、期待した台風一過の快晴にはならず、上高地に到着する頃に小雨が降り出すというあまり喜ばしくないスタートとなったのである。
1日目
朝4時に車で自宅を出発し、沢渡に到着したのが8時30分頃。駐車場で4日間の予定だというと、奥の屋根付きの駐車場に入れさせてくれた。
そこで4日分の駐車料金2,000円を払い、バス停に行くとちょうどバスが着いた所である。急いで切符を買い、バスに乗り込む。バスの中は思ったより混んでいて、大型ザックで一人分の座席を占領しているのは肩身が狭い。もう少し混んだら16kgのザックを膝に乗せなければ…と覚悟をしたが、幸いそこまでは至らずに済み、ホッとしたのも束の間。釜トンネルを抜けたあたりからしとしと雨が降り始めた。
ほどなく上高地に到着。準備をし、入山届を書いていると、登山相談所の人が、「もうこれからは天気も回復するよ」と話しているのが聞こえた。その言葉通り、入山届を提出し、トイレに行って、さあ出発しようという頃には雨も止んでいた。
青空がのぞくとまでは行かなかったが、贅沢は言うまい。降られないだけでも良しとしよう。
今日の行程は上高地からババ平まで。昨年と同じである。
道も距離感も分かっているだけに気楽なものだ。
台風通過直後だというのに、梓川の水は相変わらず澄んでいた。
小一時間ほどで明神に到着。また降り出しそうな空模様だ。
徳沢、横尾と小屋を通り過ぎ、一ノ股の橋。この頃になるとすっかり天気も回復。道もだんだんと登りになり、夏山らしい雰囲気を満喫しながらのんびりと歩く。
二ノ股を過ぎ、渓流に寄り添うようにつけられた小径を歩く。光は眩しいほど強く、水は不思議なほどに青い。
ほどなく、槍沢小屋に到着。
道が分かっているためか、昨年来たときよりもかなり早いペースである。
小屋でテント場の申込をしていると、泊まり客が頼んだらしい生ビールを運んで来た。
こっちはまだテント場まで40分ぐらいきつい登りが待っているので、飲むわけにはいかない。汗をかいたジョッキを横目で見ながら受付を終え、テント場の料金500円を払って歩き始める。
14時30分過ぎ頃にババ平のテント場に到着。
こまでは晴れていて暑かったのだが、テントを設営して少し経った頃、谷の上の方から濃いガスが流れて来て、急に寒くなった。
場合によっては小雨程度降る可能性もあったので、防寒を兼ねて合羽を着る。
最初、ババ平ではテントは数張しか立っていなかった。静かでいいな…と喜んでいたのだが、17時ごろだっただろうか。高校の山岳部らしき数十名の集団がやってきて、狭いテント場は足の踏み場もないほどになった。
まあこういうこともあろうと諦め、こっちはこっちで食事し、18時30分頃テントに潜り込む。
横になって地図などを眺めているうちに、疲れが出たものか周囲の騒々しさも気にならず、いつしか眠りに落ちていた。
2日目
4時頃、寒さで目が覚める。
ちょうど良い時間なのでテントから這い出すと、周りもだいぶ起き始めている。
トイレに行こうと思ったが人数が人数なだけにトイレも大渋滞だ。仕方がないのでトイレは後にして撤収を始める。
5時頃、やっと高校の団体が出発したので私もやっとトイレに行き、少し遅れて出発。
普通、槍沢から槍ヶ岳へのアプローチは大曲に沿って谷を登り、最後の大登で肩に上がるのが一般的だが、そのルートは去年も通ったので、今回は大曲の水俣乗越分岐から東鎌尾根に登り、東鎌尾根の稜線を歩いて槍にアプローチするルートを採ることにした。
一気に稜線に直登するルートだけにかなりきつい登りである。しかし、今日は行程も短いので無理をせずのんびりと登る。
木立の中であまり展望は利かないが、時折見える展望はやはり素晴らしい。
あまり人が通らないためだろうか。道のすぐ側までニッコウキスゲが群生していた。
7時20分頃、稜線に出た。水俣乗越である。
そのまま尾根を乗り越して天上沢側に下れば北鎌沢出合に出る。かの加藤文太郎や「風雪のビバーク」の松濤明らが遭難した有名な北鎌尾根へのバリエーションルートである。
どんな所なのか見てみたかったが、下の写真のように天上沢方面は厚い雲海に包まれ、まったくその様子をうかがうことはできなかった。
もちろん私はそちらには行かず、ここから左に折れて東鎌尾根を歩き、槍ヶ岳を目指す。
東鎌尾根はあまりメジャーなルートではないのだが、実は細い尾根道に梯子や鎖場などが沢山あり、意外とスリリングな岩場歩きを楽しむことができる。
上のザックが写っている写真を見てほしい。平坦な道が奥の方に続いているように見えるが、実際はその先に道はない。
私も歩き出そうとして戸惑ったのだが、正しい道は右側の岩を登って岩の反対側に出るようになっているのだ。
尾根道を歩き出そうとした途端の難所に先が楽しみになる。
岩を乗り越え、手足を駆使して登るような岩場を過ぎると展望が開け、痩せ尾根歩きとなる。
相変わらず、南側はそこそこ展望が開けているのだが、北側の天上沢方面は雲のベールに包まれたままだ。
東鎌尾根上から眺める槍沢大曲り。
おそらく大曲りを眺めるにはベストアングルだろう。
写真では分かりづらいが、今朝出発したババ平のテント場も小さく見える。
景色を眺めながらのんびり歩いていたのも束の間。
この連続する木製の梯子は角度が微妙で、手を使うと腰がつらいが、立って歩くには意外に高度感があって怖い。
また梯子の手前の痩せ尾根道も、道の両脇はスッパリと切れ落ちており、なかなかスリリングだ。
木製の梯子を登りきると、展望の良い狭いピークがあり、次はそのピークから下るのだが、その下りがこれである。
梯子を下り、少し進んで振り返ると後続の団体さんが下っていたので撮らせてもらった。かなり緊張しているのが見える。
水俣乗越から2時間ちょっとでヒュッテ大槍に到着。
向こうに見えるのが殺生ヒュッテ。もう目の前に槍ヶ岳が見えるはずなのだが、雲に阻まれてまるで見えない。
いずれにせよ、ここから槍ヶ岳山荘まであと1時間の行程である。
だんだん近づくにつれ、雲も取れて槍ヶ岳がその威容を現した。
ほどなくして槍の穂の直下に出る。もう槍ヶ岳山荘も目の前だ。
この場所は少し離れてみると細かいがれきや砂のように見えているのだが、側で見るとけっこう大きな石がごろごろしている。
真下から見上げる槍の穂は堂々たる威圧感を持って私を見下ろし、いまにものしかかってくるようだ。
上の方に槍の穂を登る登山者が小さく見えているが、どうか落石を起こさずにと思わずにはいられなかった。
11時頃に槍ヶ岳山荘に到着。
まだ時間も早いし南岳まで行けるかも…と思い、とりあえずテント場の申込はせずに、荷物を山荘前に置いて槍の穂へ。
往復で1時間程度のつもりで槍の穂にとりついたが、なんとここでも夕べのテント場に来た高校の団体とぶつかり、大渋滞。
前後の人たちとおしゃべりしながらのろのろと進む列に並ぶ。
槍ヶ岳山頂に到着。
やはりガスで展望はなし。
山頂の祠は去年来たときと違い、新しくなっていた。
展望のない山頂にいつまでいても仕方がないし、後からどんどん登山者が登ってくるので、降りようと思うのだが、例の高校生が下り梯子の前で列を作っており、引率の先生が一人一人安全確認をしながら下ろしているので他の登山者が降りることができない。ざっと見たところ、まだ20人以上はいる。
しばらく待っていたが埒があかないので、私の前にいた人が先生と交渉し、一人ずつ交代で一般の登山者を下ろさせてもらうことにする。
結局、小一時間で槍の穂を往復してくるつもりが、2時間以上かかってしまい、山荘前に戻って来たのが13時を過ぎていた。
いまから南岳に行くと到着は16時過ぎになってしまうので、無理をせず、今日はここに泊まることにする。
とりあえずテント場の受付をして、割り当てられたサイトへ。
時間はたっぷりあるので、とりあえずインスタントラーメンを作り、のんびりとランチを楽しむ。
山で昼食をのんびり食べるなど、私の山行では珍しいことだ。
去年のテントサイトは南側の斜面で、大喰岳方面を見渡せる位置だったが、今回は槍ヶ岳の正面。狭いが素晴らしい場所である。
テントの中からファスナーを開けると、視界が槍ヶ岳で占領される。
あまりの素晴らしさに、しばらくテントの中に寝転んで槍ヶ岳をぼんやり眺めていた。
今回、この場所で面白い人と出会ったので紹介したい。
となりのサイトにテントを張ったサムと名乗るカナダ人の若い男性だが、1ヶ月半ぐらいの日程で日本に来ており、とにかくあちこちの山を歩き回っているという。
聞けば先週富士山を登り、その足で南アルプスをやって、今は上高地から室堂、さらに立山、できたら剣岳もやるというから驚きだ。
サムは日本語はほとんど駄目。私もそれほど自信のない拙い英語での会話なので詳細は違っているかもしれないが、彼が高校を卒業したとき、父親に半年の間、カナダとアメリカの山々を連れて歩かれたらしい。
さすがカナダ人はダイナミックである。
16時頃、夕食の支度を始める。
午後は時間を持て余すだろうと思っていたが、景色を眺めたりサムと話したりしているうちにあっという間に時間が過ぎて行く。無理をして南岳まで行かなくて良かった。
さて夕食だが、今回は迷った。
前回ここで飯を炊いたときは気圧が低くてシンメシになってしまい、ほとんど残してしまうという苦い経験がある。
しかし、あれからずいぶん研究もしたし、昨日もうまくいった。チャレンジしてみようと、無洗米を約1時間水に浸し、炊き始める。ところがそれほど火力を上げていないにもかかわらず、炊き出して2〜3分で水が沸騰し、蓋にのせた石の重しもなんのその、ほとんどが吹きこぼれてしまった。
結果は見事に失敗。シンメシもいいところである。
仕方がないので、さらに水を入れて煮込み、持って来た韓国風スープの素を入れて、なんとか雑炊風にして食べることができたが、やはり3,000m級の山では米を炊くのは難しいと思い知らされた。
食事も終わり、後は寝るだけだ。
サムは槍ヶ岳山頂で日没を見たいと登りに行っている。
私も明日はいよいよ大キレットである。
3日目
寒かった。
昨日の2,000mのババ平で結構寒かったのである程度覚悟はしていたのだが、この夜はとにかく寒かった。
去年はモンベルのスパイラルバロウバック#7(【快適睡眠温度域】10℃〜【使用可能限界温度】3℃)にゴアテックスのシュラフカバーを重ねて寝たらかなり暑かったので、荷物を減らそうと今年はシュラフカバーは持ってこなかったのだ。
それでも夜半までは比較的心地よく眠れるのだが、0時を過ぎたあたりからしんしんと冷え始め、とても眠れなくなってしまった。
服の上から合羽上下を着込んだ上でシュラフに入り、さらにシュラフごと足をザックに突っ込んでどうにか凌ぐが、少し眠っては寒さで目が覚める繰り返しである。
3時頃、周囲のテントで起き出す気配がしたので、私も起きることにした。腕時計の温度計を見ると8℃である。
寒いわけだ。
とりあえず、コーヒーを入れようとテントの中で湯を沸かす。
バーナーの熱でテントの中が暖まり、極楽だ。熱いコーヒーをすすりながら片付けなどしているうちに4時になったのでテントの外に出てみた。
外は雲の中だろうと思いきや、意外に空気は澄んでおり、周囲はまだ真っ暗なのだが、東の空は燃え始めている。
槍の穂にちらちらと小さな明かりがいくつか見えるのは槍の頂上で御来光を拝む登山者たちだろう。どうやらサムも行っているらしい。
私も行こうかと思ったが、今日は大キレットを通過して涸沢まで下る一番長い行程なので、それは断念し、テントの側の岩に登って御来光を拝んでから出発することにした。
ところがカメラを構えて待っていると、みるみる雲がわき出し、あっという間に周囲は濃いガスに包まれてしまった。
目の前の槍の穂すらほとんど見えないほどである。
それでもしばらく粘っていると、ほんの1〜2分の間だったと思うが、まさに日の出のときにガスが薄れ、御来光を拝むことができた。
その後もしばらく粘ってみたが、どんどんガスが濃くなり、諦めて出発することにする。
サムに別れを言いたかったが、いつ戻るか分からないのでこちらも諦め、歩き出す。
時間は5時。
もうヘッドランプの必要はないほどには明るい。
テント場を通り抜けて飛騨乗越に下り、大喰岳を登り返す。
今日のルートは下っては登り返しの繰り返しだ。
約40分ほどで大喰岳へ。
振り返るとガスの中に真っ黒な槍ヶ岳がそびえていた。そのごつごつした山容はまるで怪獣のようだ。
さらに稜線を南下し、中岳へ向かう。
中岳の手前で雷鳥に遭遇。写真は撮れなかったが雛を2羽連れていた。
中岳が見えて来た。奥に見える岩場にある2連の鉄梯子を登って山頂に出る。
中岳山頂に到着。うっすらとかかる雲海を通して眼下の山々が見える様子は、まるで海の底を覗いているようだ。
中岳と南岳の間にある岩場。この岩を登って反対側に出る。
少し話が逸れるが、私はiPhoneを使用している。言うまでもなくiPhoneのキャリアはソフトバンクである。以前にも書いたが、山ではほとんどソフトバンクの電波が拾えるところはなく、ドコモユーザーがしきりに電話をかけているのを横目で見ているわけだが、なぜか、この中岳と南岳の間のある1点でソフトバンクの電波が入る地点がある。
一歩ずれれば入らなくなるほんの狭いエリアなのだが、そこだけしっかりとアンテナが5本立つのだ。
近くに小屋があるわけでもなく、町が見えるわけでもない。普通に考えて電波が届くわけはないのだが、おそらくどこかの電波が岩などに反射して来ているのだろう。
試しに自宅に電話をしてみたらちゃんと通話ができ、さらにメールチェックまでしてしまった。
今回の4日間の行程で、電波がつながったのは上高地バスターミナルとここだけである。
南岳山頂に到着。
眼下には南岳小屋。そしてその先には大キレットの終点、北穂高小屋を望むことができる。
いよいよここからが大キレットだ。
いくらか下って来ているが、大キレットのほぼ全貌が見える。
画像真ん中あたりを走る痩せ尾根からやや左へ登り、奥に見える北穂高岳まで難所が連続する。
下って来た南岳方面を振り返ってみた。
板状に近い岩が重なり合う尾根。ここが道とは思えないが、飛び石のようにこの岩を渡って行くのが正しいルートなのだ。
ほぼ大キレットの中間点あたりか。すぐ先に見える尾根の低い所が大キレットの底になるようだ。南岳から見た終点の北穂高岳は意外と近く見えたが、ここから見上げる北穂高は遥か上空である。
そろそろ長谷川ピークが近づき、高度感のあるスリリングな場所が増えて来た。
足場の狭い場所で片手で体を保持しながらの撮影なので難しいが、ここは上の鎖に掴まりながら岩の隙間を足場にトラバースしていく。もちろん下は何もない断崖絶壁だ。
長谷川ピーク。ここからすぐ先の岩を右側に下る。
一旦下ってA沢のコルに降り、そこから飛騨泣きをよじ登るのだ。
とんでもない所にステップが…。
この壁を下る。といっても垂直というほどではなく、70〜80°というところだろうか。
そして、この痩せ尾根の岩場を下り、先に見えるわずかに平らな所がA沢のコル。
飛騨泣きの途中から眺める長谷川ピーク。
大キレットの核心部といわれる飛騨泣きは、このような緊張感のある岩場の連続である。
飛騨泣きを過ぎ、だいぶ安心して歩けるようになった頃、ふとGPSを見ると北穂高小屋のすぐ側まで来ているではないか。ではその先の岩を回り込んだらもう小屋が見えるかなと喜んでいると、道の脇の岩に「北穂高小屋まで200m」と書いてある。
おかしい。GPSではもうすぐ側なのに…。と首をひねりながら岩を回り込んで驚いた。
確かに小屋は見えた。遥か上空に。
つまり、200mというのは横にではなく、上に200mなのである。
もう着いたような気になっていただけにがっかりしたが、気を取り直して目の前の崖をまた登り始める。
見え隠れする小屋を目指し、最後の崖を登っていると、今日2回目の雷鳥と遭遇できた。しかもかなり近づいても逃げず、まるで写真を撮ってくれと言わんばかりだ。
やっと到着した北穂高小屋。ちょうど昼時だったこともあり、小屋前のテラスでラーメンとコーヒーでまったり。
このテラスは絶景が楽しめることで有名。私もそれを楽しみにしてきたのだが、今回は周囲に雲が厚くかかり、殆ど景色を楽しむことができなかった。
テラスから下を覗き込むと、今登ってきた斜面を見下ろすことができた。
長谷川ピークのあたりではすぐ後ろにいた登山者がなかなか登ってこないので少々心配になる。
北穂高岳山頂は小屋のすぐ裏。小屋の二階に上る程度の階段ですぐに山頂に出る。
この山頂も絶景ポイントで楽しみにしていたのだが、やはり周囲は真っ白。
下り始めると遥か下の方に涸沢が見えた。今日の目的地である。小屋のお姉ちゃんは1時間半ぐらいと言っていたが、さてどんなものか。
山頂のすぐ下の雪渓では小屋のスタッフが雪に階段を作っていた。チェーンソーの音がしていたから材木を切って何かを作っているのかと思ったらチェーンソーで雪を切っていたのだ。
途中で下ってきた北穂高を振り返ってみる。
涸沢に到着。だいぶ他の登山者を追い抜いて、いいペースで降りてきたつもりだったが、結局、北穂高小屋から2時間20分ぐらいかかってしまった。1時間半てどんなスピードなんだろう。
私が涸沢に着いて少し経った頃、長野県警のヘリがやって来て、涸沢ヒュッテに降り、またすぐに飛び立っていった。怪我人でも出たのだろうか。
涸沢から眺める北穂高岳。
手前の涸沢小屋では物資搬送のヘリが荷揚げをしている。涸沢は登山客が多いためか、荷揚げのヘリがひっきりなしに飛んで来た。
涸沢のテント場は岩をうまく整地して通路やサイトを作っており、かなり広い。この日はそれほどでもなかったが、混雑する時期はこの広さにびっしりとカラフルなテントが立ち並ぶという。
周囲にはまだまだ雪がたくさん残っており、山から吹き下ろしてくる風はかなり冷たい。
それでも陽があるときは快適なのだが、一旦翳るとひしひしと寒さが襲ってくるほどだ。
防寒に合羽を羽織ってはいたが、3日間も着の身着のままで汗にまみれた服は保温効果も薄れている。
仕方がないので早々にテントに潜り込み、テントの中で夕食を作って食べることにする。
米を炊こうかとも思ったが、テントの中で吹きこぼれるのも嫌なので、インスタントラーメンと行動食用のナッツやカロリーメイトなどで夕食を終え、コーヒーを飲みながらパイプに火をつける。
寝転がって煙草を吸っているうちに疲れが出て眠くなって来た。テントの中で火を使ったので寝ているうちに酸欠にならないよう、テントのファスナーを少し開けて揺すり、空気を入れ替えてから寝袋に潜り込む。また今夜も寒いんだろうなぁと覚悟をしつつ…。
4日目
この朝もやっぱり寒かった。
昨日と同じように3時頃には寒さで寝ていられなくなり、起き上がってバーナーに火をつける。
とりあえずコーヒーを飲みながら一服。今日は上高地に降りるだけなのでそれほど急ぐ必要はない。
朝食代わりに熱いスープを飲み、体が暖まったので、テントの外に出てみた。外はまだ暗いが、空はいくらか白み始めている。周囲でも起きだしてごそごそと支度をしているのはこれから登るグループだろう。
テントを撤収し、荷物をまとめ、ヘッドランプを点けて歩き出す。涸沢ヒュッテでトイレと給水をして再び歩き出す頃にはもうヘッドランプはいらないぐらい明るくなっていた。
涸沢ヒュッテのすぐ下の雪渓。早朝のため雪はカチカチに凍っており、注意して歩いていても2度ほど尻餅をついた。
渓流に沿って急な下りを歩き、本谷橋へ。ここまではほとんど人に会うことはなかったが、橋のたもとで休憩していると横尾からの登山者が大勢登って来た。
橋を渡ってからはほとんど平坦な道となり、すれ違う登山者もずいぶん多い。小学生の団体などもいくつかすれ違った。
ほどなく横尾に到着。
あとは登りにも通った道だ。徳沢、明神と経由して10時過ぎに上高地へ。
早く沢渡に戻って風呂に入りたくて発車直前のバスに飛び込む。
なにしろ4日間も風呂にも入らず汗だくで着の身着のまま。おそらく相当臭うだろう。バスがすいていればいいと思ったが、意外に混んでおり、30分程度だったが隣の人にはかなり迷惑だっただろう。申し訳ないことをしたと思っている。
それにしても沢渡の温泉の気持ちよかったこと。
これだから山はやめられない。