2010年7月21〜23日

「国土地理院発行の2万5千分の1地形図
(槍ヶ岳・穂高岳・上高地)」
ルートタイム
槍ヶ岳は子供の頃から憧れていた山だった。
いつかは登ってみたいと思っていたのだが、これまでは家族での山行が中心だったため、子供の体力や費用的な問題もあり、北アルプスのような山は敬遠する傾向にあった。
だが、子供も大きくなり、学校だ部活だと自分の生活ができ始めたため、今年の夏は家族での山行はなしということになった。
それならというので、私独りで、長年憧れてきた槍ヶ岳に行くことにしたのである。
実は当初、梅雨明けの時期を見込んで出発を7月27日頃としていた。梅雨明け直後が最も天候が安定しているからだが、今年は意外に梅雨明けが早く、7月17日頃には明けてしまうという。
そこは単独行の気軽さで、大急ぎで仕事を調整し、7月20日の仕事を終えてその足で出発することにした。
新宿からあずさに乗り、21時52分に松本着。予約しておいた駅前のビジネスホテルへ。
翌21日の始発6時32分の上高地線で新島々に行き、そこからバスで上高地だ。
上高地には8時20分到着。今日の予定はババ平のテント場までなので、それほど急ぐ必要はない。
上高地で腹ごしらえをし、下山後の着替えを手荷物預かり所に預け、入山届けを提出してすっかり準備が整った。
時刻は9時。さあ出発だ。
1日目
上高地の河童橋。このあたりは人でごった返していた。
梓川に流れる支流の一つだろう。とても透明度が高く、心まで洗われるようだ。
梓川に沿い、ひたすら川をさかのぼる。
当分の間はほとんど平地なので散歩気分だ。
実際、上高地から1時間ほどで歩ける明神池までは普通の格好の観光客や遠足の小学生も多い。
はしゃぎながら歩いている小学生たちと遊びながら少しの間歩いたりもした。
まだ慣れない15kgのザックが少々重いが、すこぶる天気がよく、日程を先取りにして正解であった。
北アルプスでたくさん見かけた鳩。
とてもきれいな色をしている。
明神、徳沢と山小屋を通り過ぎ、横尾に到着したのがちょうどお昼。きっかり3時間歩いたわけだ。
この横尾は北アルプスの交差点の一つであり、小屋もそれなりに大きい。
まず私が歩いて来た上高地方面から真っ直ぐ行けば槍ヶ岳へ。右へ登れば蝶ヶ岳。そして左へ、写真の橋を渡って行くと涸沢から穂高方面へと行くことができる。
腹も減り、時間も良いのでここで昼食にする。
とにかく日差しが強いので日陰を探したが、良さそうなところはすべて先客がいる。
ちょうど昼時なので仕方ないと、炎天下のベンチに陣取り、持参したストーブで湯を沸かし、アルファ米の山菜おこわを作る。
見ると小屋に自動販売機があったので、湯が沸くまでの間、ポカリを買って飲んでいた。これが350ml缶で250円。
普通にトラックで運んで来ているのに高くないかと思ったが、そこはまあ野暮は言いっこなしということで…。
昼食を終えて横尾を発ったのが12時40分。
歩いて行くうちに広い河原だった梓川が、だんだんと渓流の相をなして来た。水が青いのが印象的である。
そしていつしか谷には雪渓が見られ始めた。
真夏に雪を見たのは2004年に登った月山以来だ。
高山に来たという実感が沸いて嬉しくなる。
二ノ俣を過ぎ、しばらく行くといつの間にか傾斜がきつくなって来た。
これまで4時間も平地を歩いて来たので、そのリズムが体に染み付いてしまい、そのままのペースで登りにさしかかったものだから、あっという間にバテてしまう。
槍沢小屋までと思ったが、そこまでもたず、道端の倒木に腰をかけて10分ほど休憩を入れる。
なんとか少し回復したので気を取り直して歩き出すと、もう槍沢小屋は目の前であった。
槍沢小屋でババ平のテント場の申し込みをし、料金500円を支払い、給水をして更に登る。
先ほどの失敗を繰り返さぬよう、ここからはしっかりと登りのペースを維持する。
槍沢小屋からは30分ほどでババ平に到着。
右に赤沢山、左に横尾尾根がのしかかるようにそびえ、正面には大曲が見えている。なんとも絶景の場所である。
写真の石の壁は、昔の槍沢小屋の跡とのことで、いまは物置として使われているらしい。
風よけにちょうど良かったので、ここにテントを張ることにする。
石壁の向こうは梓川の渓流で、かなり水の音が大きいのだが、この壁に隠れてしまうとそれほどでもなく、眠るにも都合が良かった。
このテント場の水場は、上の方からホースで水を引いて来ており、それがずいぶん長い距離らしく、黒いホースに暖められてお湯に近い温度になっている。
テントの設営を終えたが、夕食にはまだ早いので、湯を沸かしコーヒーを入れる。
ゴミを増やしたくないので山ではレギュラーコーヒーは避け、もっぱらスティックタイプのインスタントコーヒーなのだが、甘いインスタントコーヒーが疲れた体に嬉しい。
17時30頃にそろそろ飯を炊こうと支度を始める。
面倒なので米は無洗米を1合ずつビニール袋に小分けにして来ている。
米をコッヘルにあけてから、つけ置きするのを忘れていたことに気がついた。高山では水の沸点が低いので、十分に米を水につけてから炊かないとシンメシになってしまうのだ。
通常は1時間程度つけるが、仕方がないので30分ほどつけてから炊き出す。
炊きあがって食べてみると、まあまあの出来だ。まだ標高も2,000m程度なのでなんとか助かったらしい。
牛肉の大和煮の缶詰とインスタントの豚汁をおかずに食事をしていると、パンをかじっていた他のキャンパーに羨ましがられた。
食事を済ませ、もう1杯コーヒーを飲むとだいぶ薄暗くなって来た。
時計を見ると19時。せっかくなので星空を眺めたかったのだが、だいぶ雲が出てきており、体も疲れていたので早々とテントに潜り込む。
夜中に起きて星を見ようという意気もどこへやら、そのまま朝までぐっすりと眠ってしまった。
2日目
朝4時30分、薄明かりの中で目を覚まし、サイトを撤収して5時20分頃に出発。
私は起きてすぐには食べられない体質なので、ここでは食事はせず、すぐに歩き出す。
朝日に映える美しい山々を見ながら歩くのはとても気分が良い。
横尾尾根から無数に落ちる雪解け水の滝。
こういった無数の小さな流れが集まって梓川になるのだということを実感させられる。
歩いて来た道を振り返ってみた。
深い谷の川沿いにつけられた小径が見える。
遠くの方に見えていただけだった雪渓だが、登るにつれ、すぐそばで見られるようになり、かつ大規模になって来た。
川の上では写真のようにところどころが割れ落ちている。この雪塊だけでも一体何トンあることやら。
道端には季節外れの桜。高山ならではだ。
登るにつれ、いよいよ雪渓は広がり、とうとう雪の上を歩くことに…。
ふと振り返ると光の織りなす見事な芸術が見えた。
朝の清々しい景色を眺めながら歩を進める。
だんだんと登りがきつくなってくるが、体が慣れて来たのかたっぷりと睡眠を取ったためか、それほど苦しさは感じない。
ババ平のテント場から2時間ほど歩いたところで氷河公園分岐に出る。
ここからは氷河公園、通称天狗原を抜けて南岳直下の尾根に出られる道がある。
この道は当初計画にはなかった道なのだが、目の前に広がる大雪原に心を奪われてしまった。
地図を広げ、近くにいた年配の登山客に話しかけてみると、その人は昨日この道を通って槍に行ったという。詳しく効いてみると、今年は残雪が多く、下りよりも登りで使った方が危険が少ないし、時間的にもそれほどかかるわけでもないらしい。
何より人が少ない雪原を歩く魅力に逆らえず、急遽予定を変更して私は大雪原へと足を踏み入れた。
幅2〜300mはあろうかという大雪渓をトラバースし、天狗原への登りに取り付く。
雪は程よく締まり歩きやすい。踏み跡が全くないところを見ると、表面が溶けて足跡を消すのだろう。少なくとも今日は最初の訪問者のようだ。
雪の上の涼やかな風を浴びながら歩いているととても楽しい気分になって来た。雄叫びでもあげたいほどだ。
トラバースを終え、登りに取り付いてからは少しの間雪はなくなったが、小さい雪渓をいくつかトラバースした後、天狗原に出る。
ここには天狗池という風光明媚な池があるのだが、雪に埋まり、まったくわからない。
おそらくこのあたりに天狗池があると思うのだが、見たことのない私にはまったくわからなかった。ただ、岩の下の方から微かに水音が響いてくるのでそうではないかと、勝手に判断する。
勝手に決めた天狗池を越え、天狗原を歩く。
所々、大きな岩の周りの雪が溶けてクレバスのようになっている所があり、覗くと深さは楽に数mはありそうだ。つまりそれだけの積雪が残っているということである。
一、二カ所、かなりの雪の急斜面があったが、つま先が楽に蹴り込める固さなので、アイゼンなしでもキックステップで楽に登ることができた。
大雪原を堪能し、尾根への取り付きにかかる。ここが天狗のコルだ。
ここから遥か上方に見える尾根まで一直線のガレ場の急登である。
右を見ると、これから辿る尾根と、目的地の槍ヶ岳が一望に見えている。
左はといえば、北穂高岳と大キレットの端が見えている。見るからに恐ろしげな所だ。
北穂高山荘とそれに続く大キレット。
あんな所どうやって登るんだろう。
ガレ場というが、石ではなく岩である。時には1m以上ある段差を乗り越え乗り越え、亀のように上を目指す。
途中、2カ所の連続した梯子があるが、大変なのは梯子よりも、胸ほどの段差をよじ登る所だ。ストックを先に投げ上げておいて、両手をつき、勢いをつけてよじ登ったが、背に15kgの荷物を背負っているので、なかなかしんどい。ザックを下ろして先に上げることも考えたが、狭い場所で大型ザックを取り回すのも厄介なので、無理矢理背負ったままよじ登ってしまった。
2,500mの天狗原から一気に3,000mの尾根までの急登なので、ゆっくり登っているつもりでもかなりつらい。高山病まではいかないが、一歩ごとに空気が薄くなっているのが感じられるようだ。
さらに、涼やかだった雪の上から一転して照り返しの強い岩になり、体力を消耗するガレ場登りでとんでもなく喉が渇く。
実は天狗原分岐の先で水を補給する予定だったのが、予定を変更してしまったので、水場がなく、少々水が心細くなって来たのだ。水の不安は精神力を消耗させることを今回身を以て知ることになった。
かなりバテバテになりながらようやっと天狗原稜線分岐に到着。
その場にへたり込みながらも尾根の向こうに広がる絶景は素晴らしかった。
一人なのでへたばっている私の写真はとれないため、私の代わりにへたばっているザックを入れて撮影してみた。
登って来た道を振り返ってみた。
しばらくその場でへたばっていたが、いつまでもそうしてはいられない。ここから槍ヶ岳まではまだルートタイムで2時間以上あるのだ。
バテた体を引きずり起こして歩き出す。これからは尾根歩きなので、そうきつい登りはもうないだろうというのが唯一の救いだ。
目の前にはひたすら続く尾根。
さすが穂高の尾根。大キレットでもないのに高度感のある難所が随所に出てくる。ここでこうなら大キレットはどんなだろう。
写真は分かりづらいが、カメラを真下に向けて撮影したものである。わざと靴を入れたわけではない。背中は岩に張り付いた状態でこれ以上下がれないのだ。
これは尾根の岐阜側だが、撮影後、実は正しいルートは長野側だったことがわかり、数m戻って岩の裏側をトラバースする。
天狗原からの登りの疲労と暑さ、緊張を強いられる岩場で、とにかく喉が渇くのだが、水の残量が気になりあまり多くは飲めない。
浴びるほど水が飲みたい。
その欲求が極限に達しそうな頃、中岳直下の雪渓から流れ出る清水に出会う。
まさに天の恵みだ。
文字通り浴びるほど飲んだ。
なんと冷たいうまい水だろう。なにしろ3,000mの雪渓から流れ出る水である。まさに梓川の源流の一つである。究極の軟水と言ってよい水だ。
ちょうど時刻も正午なので、ここで大休止し、食事を摂ることにした。
何を食べようか迷ったが、かなりバテ気味なので、汁気の多いものが良いと思い、インスタントのラーメンを作る。
そういえば、ラーメンのCM撮影を槍ヶ岳の山頂で行い、登山者を足止めして批判されていたニュースがあったが、それはこの後の話。
とにかく、ラーメンを食べコーヒーを飲み、水を2リットルほど飲んで1時間ほどたっぷりと休み、ようやく元気が回復した。
さてここからは中岳の登りだ。
見た目はきつい登りだが、登ってみると意外とあっけなく中岳の山頂に到着。
やっとまた槍ヶ岳が見えて来た。
さらに下り、登り返し、大喰岳へ。
槍ヶ岳と手前には槍ヶ岳山荘が見える。槍ヶ岳山荘からこちら側の斜面に散らばるテント。あのテント場が今日のお宿だ。
飛騨乗越からの最後の急登を登りきり、テント場を通って槍ヶ岳山荘へ。目の前には念願の槍ヶ岳が堂々とそびえ立っている。感無量だ。
まず槍ヶ岳山荘でテント場の使用料500円を払い、区画番号の入った木札をもらう。これが申込済みの証明書なのだろう。
早く槍の頂に行きたい気持ちを抑えて、とりあえずテントの設営を行う。
それにしてもすごい斜面のテント場である。もちろん、サイトの区画内は平らになっているので寝るのには支障はないのだが、階段状になった区画ごとの段差が大きい。3区画ほど上から撮影したこの写真で高低差が感じられることと思う。
テント設営を終え、カメラだけを持っていよいよ槍の穂へ。
だが、ちょうど大人数の年配の団体が登り始め、渋滞になっていたので、槍ヶ岳山荘の前のベンチでしばらく待つことにする。
槍ヶ岳山荘の前からは雄大な氷河地形を眺めることができ、これを見ているだけでも飽きることがない。
今朝登って来た天狗池のあたりも一望でき、「ああ、あそこをこう歩いたんだなあ」などとまるで立体の地図を見るよう。
我ながら良く歩いたものだと感心するやら呆れるやら。
しばらく待って槍の穂へとりつく。
全身を駆使してのスリリングな岩登り。もちろん一歩間違えば真っ逆さまの危険な場所なのだが、変化に富んだ岩登りに夢中になり、あっという間に頂上へ。
とうとう念願の山頂へ。そこは天空の舞台だった。
しばらく山頂を堪能してからテントに戻る。
槍ヶ岳山荘では天水を200円/リットルで買えるので、水を補給し、夕飯の支度に取りかかる。
今回はたっぷり1時間米を浸し、これなら大丈夫と炊いてみたが、水の量が少なかったか気圧のせいか、かなりシンメシになってしまった。
無理矢理にでも食べようと思ったが、半分ほど食べてギブアップ。残りはコッヘルごとビニールに入れてザックの底へ。
よけいな荷物が増えてしまった。
夕方になると風が強くなった。風に乗って雲が流れてきて、めまぐるしく空の色が変化する。
隣のキャンプの高校の団体の先生が「ブロッケン!」と叫ぶのでカメラをつかんで走るが、残念ながら雲が速すぎて安定して見ることはできなかった。
7時頃、トイレに行こうとテントを出ると、皆寝てしまったのかあたりは静まり返っている。ガスに覆われ、薄暗い山はまた昼間とは違った顔を見せる。
この天気ではまた星空は望めそうにないので、私も早々に寝ることにした。
寝袋に潜り込み、風でテントがばたつく音を聞きながら横になる。
余談だが、標高の高い所で寝るのは慣れていないと少々苦労する。空気が薄いので、横になっても深く呼吸していないと苦しいのだ。
だんだん眠りに入って呼吸が浅くなってくると息苦しさに目が覚める。何度かそれを繰り返すうちに体が慣れて来て目が覚めなくなるのだ。
3日目
4時半に目が覚めると相変わらず風が強いらしく、テントがバタバタと音を立てている。
外はさぞや寒かろうと防寒着代わりに合羽を羽織り、気合いを入れてテントのファスナーを開ける。
と、思ったほどではなかった。
ガスが濃く、確かに風は強いのだが、それほど冷たい風ではなく、合羽1枚でどうにか凌げる程度だ。
テントや荷物が飛ばされないよう注意しながら荷造りをする。隣では高校の団体が朝食の支度を始めていた。
5時に山荘が開くのを待ってテント場の木札を返し、下山を始める。視界は5mといったところだが、岩のペイントがあるので迷うことはない。
少し下ると、下の方に光が見え始めた。どうやら下は晴れているらしい。
思った通り、下って行くとガスから抜け出した。
振り返ると・・・目の前に雲があった。
雲から抜けるとやはり山の朝である。
清々しい眺望に一気に目が覚める。
雲海の彼方に、遠く富士山を望むことができた。
槍ヶ岳を開山した播隆上人が泊まったという坊主岩小屋。
播隆上人については新田次郎の「槍ヶ岳開山」に詳しく描かれている。槍ヶ岳に登られる方は一度読まれると感慨深いものがあると思う。
日が高くなるにつれ、またもや素晴らしい天気となった。振り返ると槍の穂もきれいに見えている。
下りの気軽さに足も軽く、ちょうど昼頃に上高地に到着。
食事をして小梨平の風呂を借り、その日のうちに家まで帰り着くことができた。
ちょっと信じられないほどのスムーズな運びであった。
今回は大キレットに行こうかどうしようかだいぶ迷ったのだが、また来る楽しみを取っておきたいと思い、槍ヶ岳に登れただけで満足することにした。
来年はぜひとももう一度訪れ、今度は大キレットに挑戦したいものだ。