2013年5月2〜4日
「国土地理院発行の2万5千分の1地形図
(槍ヶ岳・穂高岳・上高地)」
3D MAP
ルートタイム
槍ヶ岳はこれまでに2度ほど登っているが、いずれも夏である。
今シーズンの最後の雪山をどこにしようかずいぶん考えたが、槍ヶ岳なら様子も分かっているし、なにより連休から小屋も営業を開始し、登山客も多いようだ。
これなら私のレベルで問題ないと判断し、行ってみることにした。
当初は5月3日出発で予定していたが、混雑を考えると1日でもずらした方が有利と考え、1日休暇をとって5月2日出発とした。
朝4時に家を出発し、沢渡に着いたのが7時40分頃。いつもの沢渡大橋駐車場に車を駐め、3日分の料金1,500円を払う。
バスは連休中なので、20分に1本の間隔で走っているこのこと。トイレに行こうかと思ったが、すぐにバスが来たので乗り込んでしまう。途中で一度バスを乗り換え、上高地に到着したのが8時30分頃。すこぶる順調な出だしである。
上高地で入山届を書いていると、係員らしき方が声をかけて来た。天気の様子を聞いてみると、ここ2〜3日は心配なさそうだ。
入山届を提出し、腹ごしらえをし、準備体操をしながら考える。服装はどうしようか。
今回は念を入れて、厳冬期と同じ防寒装備を持って来ているが、ここでは下着と冬用のウールのシャツに厚めのベストだけで、少し肌寒い程度である。この程度なら歩けば暖まると思い、とりあえずそのまま歩き出すことにした。
1日目
合羽橋付近は、そこそこ人出はあるものの、やはり1日ずらしたのが良かったのか、それほどの混雑はない。
真っ白に映える穂高に、テンションも上がる。
明神岳もまだ雪化粧だ。
明神〜徳沢間ではあちこちにニホンザルの姿が見られた。
道のすぐ脇でのんびりとグルーミングをしたり食事をしたりしており、人が通ってもまったく気にしていないようだ。
道が川沿いになると、北尾根が見えてくる。こちらも雪化粧が美しい。
これまではほとんど道に雪はなかったが、だんだん、枝沢の吹きだまり等、道にも雪がかぶりだした。
器用に雪を切って道を作っているのが面白い。
これまでは夏径を忠実に歩いて来たが、途中から夏道が完全に雪に覆われ、河原につけられた車道を通るよう誘導されていた。
美しい梓川のほとりを歩く。この時期ならではの特権だ。
屏風岩が見えて来た。横尾ももうすぐだ。
横尾に到着。今回は正面の橋の脇の車道からの到着だ。
ちょうど昼時。昼飯は行動食で済ますつもりだったが、今日の目的地である槍沢ロッジまでは2時間ほど。あまり早く着いても仕方がないので、横尾で大休止とする。
湯を沸かし、フリーズドライの五目ご飯を作って食べ、コーヒーで一服。
1時間ほどのんびりして歩き出す。ここまでは上着を着ずに歩いて来たが、時々冷たい風が吹くと意外に寒いので、ここでジャケットのアウターを羽織る。
歩き出すと、ここからの道はほぼ雪に覆われていた。
夏径はほとんど見えず、トレースを追いかけて歩くが、トレースも迷いがちでクネクネと進んで行く。
午後の日差しで雪もほぐれ、何度か踏み抜いて靴の中に雪を入れてしまう。
槍沢ロッジへの急登には雪の階段が作られ、夏径よりもだいぶ手前に出る。
宿泊の申し込みをする。
1泊2食で、朝食はどうしようかと迷った。
朝食の時間は6時とのことで、それだとどうしても出発は7時近くになってしまう。
できれば明け方の清々しい空気の中を歩きたかったので、朝食は弁当にしてもらう。
槍沢ロッジには風呂があるが、ロッジ内が少々寒く、湯冷めをしそうなので私は遠慮することにした。
唯一、談話室のみがストーブが入って暖かいので、夕食まで談話室で備え付けの漫画を読んで過ごす。
夕食は18時。食後、談話室でしばらく待っていると、朝食用の弁当ができたと放送が入る。どうやら弁当にしたのは私一人のようだ。
弁当を受け取り、朝すぐに発てるように荷物の整理をする。おそらく、私が発つときにはまだほとんどの人が寝ているだろうから、朝あまりバタバタしないように考えて荷物をまとめ、あとはもうすることもないので、早々に寝てしまった。
2日目
朝4時に目を覚ます。思った通りまだ誰も起きていないようだ。
まだ暗いが、窓から外を見るといくらか空は白みかけている。とりあえず、荷物を玄関ホールに降ろし、外の自炊室で湯を沸かし、コーヒーを入れる。朝食を食べてから出発しようと思い、夕べもらった弁当を開けてみる。
弁当は押し寿司になっているちらし寿司だ。なかなか豪華なのだが、一晩置いて少し乾き気味のご飯が食べづらい。
食べているうちに外はだいぶ明るくなり、何人か登山客も起きだして来た。
彼らと雑談をしながら朝食を終え、支度をして出発したのがちょうど5時頃。
雪はそれなりに固いが、アイスバーンというほどではなく、とりあえずしばらくは傾斜も緩いのでアイゼンなしで歩き始める。
朝日に映える横尾尾根上部。下はまだ薄暗い。
槍沢から少し登ると1ヶ所だけ槍の穂先が見えるポイントがある。
雲一つなく、朝日に生える槍ヶ岳に気分も盛り上がる。
槍沢ロッジから上は沢も道もすべてが雪の下だ。
当然だが、夏とはだいぶ景色の印象が違う。
ほどなくババ平のテント場が見えて来た。その先には大曲がりが見えている。
ババ平のテント場の石垣を見ると、積雪量が分かる。この感じだとまだ2m以上は積もっているだろう。
テントの数もなかなか多く。ちゃんと雪ブロックで壁を作ってテン泊をしており、なかなか快適そうだ。いずれ私も雪上テン泊に挑戦してみたいものである。
ババ平から先を見ると、見事なまでに平坦な雪原だ。大曲りまで一直線にトレースが続いているのが見える。
谷の真ん中をゆるゆると登りながら大曲りに到着。
そして、大曲りを曲がってみると・・・。
予想に違わず大雪原である。
この辺りは夏径はかなりクネクネと複雑なルートを辿るが、これだけシンプルだと思わず笑ってしまう。
大曲りを曲がったあたりから傾斜がきつくなる。一直線なだけに延々とつづく単調な急登はなかなかしんどい。さらに大曲りを曲がると陽が当たるようになり、だいぶ暑くなって来たので、インナージャケットを一枚脱ぎ、ついでにアイゼンを装着し、トレッキングポールをピッケルに持ち替えた。
このあたりで、下って来た登山者に「携帯持ってますか?」と声をかけられた。
何事かと思って聞いてみると、殺生ヒュッテの下あたりで山スキーらしき登山者が骨折して動けなくなっており、救助を要請されたとのこと。
残念ながらこの谷あいでは携帯も圏外で役に立つことはできなかったが、登りの登山者にも声をかけているようで、携帯がダメでも槍ヶ岳山荘か槍沢ロッジ、どちらか先に着いた方が要請できるだろう。
殺生ヒュッテが営業していれば話は早いのだが、残念ながらこの時期、殺生ヒュッテはまだ営業していない。
彼は一刻も早く槍沢ロッジに到着すべく下って行った。
しばらく登って行くと、ようやく槍ヶ岳が姿を現す。
半分雪をかぶった槍ヶ岳はまた格別に美しい。
どうやら連絡が取れたらしく、ヘリの音が遠くから聞こえてくる。振り返ると松本の方角からこちらへ向かってくるヘリが見える。長野県警の救難ヘリのようだ。
私の位置から200mほど先に要救助者らしき人が雪の上に座っている。ヘリはその周囲を大きく数度旋回していたが、どうしたものかそのまま松本方向に引き返して行った。
写真の2人組の先に、ポツンと見えるのが要救助者らしい。
そばを通ったときに声をかけてみると、声は元気そうだ。ただ自力では動けないようだが、救助隊は動き始めているし、私に出来ることは何もない。
とにかく寒くないように、救助が来るまで頑張れとだけ言い残し、先へと進む。
ふと振り返ってみると吸い込まれそうな斜面だ。
この斜度で堅雪ではスキーで骨折するのも無理はない。私などスキーはゲレンデでやっと滑れる程度だから、転倒してそのまま大曲りまで滑り落ちて行くのがオチだろう。
長い急登が一段落し、いくらか傾斜が緩くなる。しかし先に見えるのは最も斜度のきつい最後の大登りだ。
さっきから何度となく来ては戻って行った救助ヘリだが、今回は槍ヶ岳山荘のあたりに救助隊員を降ろし始めた。どうやら遭難現場は風が強く、ヘリでのピックアップは難しいと見て、人力で救助に当たるようだ。
やっと最後の大登りに取り付く。
夏径はつづら折りに登る所を一直線に登って行くため、距離は短いが斜度は半端ではない。一歩一歩、歩数を数えながら無心で登る。
11時頃、槍ヶ岳山荘に到着。
早速、宿泊を申し込み、部屋へ荷物を置いて、早速槍の穂へ向かうことにする。
予想はしていたが、実際に登ってみると雪と岩のミックスというのはなかなか難しい。
場所にもよるが雪の部分でかなり傾斜のきつい所も多く、アイゼンだけでは不安でピッケルを併用する。ただしシャフトを打ち込めるほど雪が深くないため、ダガーポジションでピックを打ち込みながら登る。
また岩の部分では夏と違って靴底の摩擦は全く利用できず、アイゼンの刃を安定した形で足場に置かないと簡単にバランスを崩してしまう。足場が広い所はまだ良いが、小さな足場など、何度もアイゼンをかけ直し、完全に安定させてから体重をかけるぐらいの慎重さが必要だ。
最後の梯子を登り詰め、山頂へ。
山頂が積雪で平らになっているのが面白い。
天気もよく、山頂からの眺めは胸がすくようだ。
さぞ風が強いだろうと思っていたが、さほどではなく、人が少ないのをいいことに、しばらくの間のんびりと展望を楽しんでいた。
ふと下を見ると、やっと救助活動が始まっていた。
要救助者をソリに載せて人力で引き上げているようだ。
充分景色を堪能し、下り始めるが、下りは登り以上に難しい。
難しい所ではピッケルを岩にかけて腕のリーチを稼ぎ、より安定した足場を探す。ただし、私のピッケルはBタイプなのであまり無理は出来ない。あくまでも3点指示を守り、ピッケルに全体重を預けることは避けた。
午後2時過ぎだろうか、またヘリがやって来てようやく要救助者を吊り上げ始めた。
どうやら風の弱い所まで人力で引き上げてヘリを待つ算段だったようだ。
見ている間に要救助者は無事ヘリに収容され、松本方向へ搬送されて行った。事故から約8時間。皆さんご苦労様でした。
見上げると槍の穂にとりついている登山者が見える。こうして下から見るとまたなかなかスリリングである。
こうして景色を眺めたり、談話室で本を読んだりしているうちにだんだん同室の人数も増え、最終的に5人になった。夕食後、布団に寝そべってしばらく明日の行程などをお互いに話したりしていたが、いつしか眠くなり、意識がなくなっていた。
夜中にふと目を覚ます。外に出て星を見ようかと思ったが、窓から覗くとガスにすっぽりと覆われており、諦めてまた布団に戻る。
3日目
いつも通り4時頃に目が覚めると、同室の中ですでに起き出している人がいるようだ。
寝ている人に気を遣って、静かに布団を畳み、そっと荷物を廊下に運び出す。
外に出てみると、ガスと地吹雪で何も見えない。残念ながらご来光は無理のようだ。
後で分かったのだが、この前日もまた翌日も見事なご来光が拝めたとのことで、ちょうど悪い日に当たってしまったようだ。
仕方がないので、玄関ホールでコーヒーとカロリーメイトで朝食にし、5時頃に出発。
かなり寒く、吹雪用のゴーグルを装着し、ジャケットのフードを被って完全武装で歩き出す。
少し下るとどうやら雲から抜け出しそうだ。東の方に朝日が輝き始めた。
下って行くうちにすっかり雲から抜け出し、御来光こそ拝めなかったが、朝焼けに生える美しい雪山の景色を堪能することが出来た。
ガチガチに凍った急斜面の下りは思い切り足に負担がかかる。
10歩ごとぐらいに下半身の向きを変え、筋肉の負担を分散させながらゆっくりと下って行く。
あまりきついのでシリセードも考えたが、絶対に止まらないだろうと思い、実行はしなかった。
やっと大曲りが見えてくる。時間的にも槍沢を出発した登山者たちだろう。蟻の行列のように登ってくるのが見える。
横尾まで下ってくると、連休後半も2日目となり、思った以上の人出に驚かされる。
横尾で休憩していると、消防署の四駆がやってきた。
どうやら誰かが怪我でもして救助を頼んだらしい。
バスターミナルに行くと、沢渡行きのバスがまさに発車直前だったので、それに飛び乗った。
今回は初めての春の北アルプスだったが、救助シーンに2度も遭遇したことは、やはり春山をなめてはいけないということだと感じた。
幸いにして2つとも重大事故ではなかったが、一歩間違えば命に関わる事故に繋がると思われるポイントも散見できたし、充分な装備と経験、そして体力をもってあたることが重要だということを再認識した山行であった。